アルペンスキーと言う究極のシビアな種目のスペシャリストとしての卒業をしました。
長い間世界の舞台で経験を積ませてもらって世界の舞台を感じさせてもらって
世界中の仲間達と知り合えて、究極の難しさや悔しさや最強の喜びなんかあげたら数知れないですが本当に多くの事を経験して来ました。
言葉で言うと軽く聞こえがちだけど、本当に経験して色んな所に行った。
18歳まで北海道の北照高校。
その春、東京の日本体育大学に入学したんだけど
俺はここで何してるんだろうって毎日が疑問で正直大学に行って俺は何を求めてるんだか全く見えなかったんです。その時点で自分の目的が一個しかなくて。
それも並大抵の大きさじゃないくらいの欲を掻き立てられていたんですよね。
それが「世界一なりてぇ」って欲求です。
そこで俺は19歳になったばかりの9月にオーストリアに向かいました。
16歳の時から遠征ではイタリアやオーストリア、スイスに良く行っていたので
外国のアルペンに対する情熱は一年に1ヶ月程度の遠征でも脳裏に焼き付いていたんでしょう。何も考えずアルペン強くなりたいなら、成功したいならヨーロッパ。
そう強く思い込んでいました。
そして俺のアルペンスキーヤーとしての勝負は始まりました。
それまでヨーロッパカップしか出た事の無い俺の世界デビュー戦、それはオーストリアのSt.Antonであった世界選手権でした。初めて60,000人を超える観客の前でスタートに立ったんですよね。
俺が思い描いていた物ですよ。本当に興奮した。興奮しすぎて鬼攻めしたのを覚えてます。19位でした。
そして20歳でソルトレイクオリンピックに出て
21歳でWorldcupの表彰台に始めて立ち
それから最後の引退レースであったワールドカップ第8戦スロベニアのクランジまで勝つ事だけを意識し追い求めどんな時も負けねぇ!って自分と闘ってやって来ました。本当に楽しかったし悔しかったしムカついたし色んな人と色んな喧嘩もしたし刺激的過ぎちゃって。最高にクレイジーで素敵なアルペン生活でした!
結果がどうあれ、俺はこうやって今アルペン人生を終えた瞬間。
クランジのレースでゴールした瞬間、俺のアルペン人生成功したな!って思った。
選手の時は勝つ事以外成功じゃないと思ってたけど、よっしゃ!次やってやるぜ!って本当に思って新しいバイブス出て来た。そこに一切の迷いが無かった。
これはもう完全に成功だよ。人生前だけを向いて歩くなんてなかなか難しいもんだと認識してる。そんな認識の中でのこれだけのスムーズな前進。決めた時の重大さに対してのこの次へのステップの踏み込み方。成功だと思う。
今回は正直こんだけ書いていてなんだけど、たいして面白い事もなんも言う気にならないなぁ!なんせ満足してる。楽しかった!挑戦しまくって打ちのめされて、小さな蕾を咲かそうと必死になったり最高だったよ。マイナスに考える事最後まで無かったな。
一度だけ最強に落ち込んだのはワールドカップでわざわざアメリカまで行ってGSのレースでスタートに遅れてしまった時くらいだ。あの時は恥ずかしくて、悔しくて、情けなくて部屋から一歩も出れなかった。
ミーティングにも出なかった。落ち込んじゃって。
次の日スラロームで14位になんとか入って少し気が紛れたのは事実です。
そのおかげで一日で気持ち取り戻したんでその程度なんですけどね。
俺は日本代表と言うチームメイトみんなに恵まれてたな。
本当に感謝だぜ!ありがとう!!
応援してくれた多くの皆さんにも心から感謝したいと思います。
ありがとうございました。
いつもどんな時も俺の下らない話を聞かせられる 後輩の湯浅。高校時代からずっと今まで聞かされて こうやってスタート前でも俺の話に付き合ってくれる良い奴なんです。 後輩に恵まれてます!しかも最後のレースで俺スキーソックス家に忘れて すげぇ短いくるぶしまでので滑ってたら見兼ねて湯浅がソックス貸してくれたね。 ありがとうございました。忘れ物多い俺でごめんよ |
最後のワールドカップまで全力で滑りたいって昔から決めてました。 |
父ちゃん母ちゃん兄ちゃん伊東さんと!日本では姉ちゃん二人も応援してくれてた。 分かりにくいけど後ろのスタンドには龍ちゃん和馬さんショウリンさんも 見守ってくれてた!きっと俺が会った事無いだけで多くの人が自分を応援してくれているんだろうと 考えると本当に毎日感謝でした。 |
お世話になりっぱなしだった俺の愛するマテリアル。 SALOMON Phenix HESTRA ZeroFit KIZAKI EMUSI |
Manfred Prangerさんも本当に何時も声かけてくれてね。 感謝だよね。本当に。これ以上無いくらい良い人ばかりなんだよ。 ワールドカップの世界 |
フランスのJulien Lizerouxにもずいぶん可愛がってもらった。 本当にナイスガイな先輩です。ありがとう!ジュジュ! |
GS KingのTed ほんと楽しかった。 |
同じ時間にスキーが出来て幸せだったって。 俺がだぜ! |
湯浅からいきなりサプライズ!!本当にいつもうるさくてごめんな!! 調子が悪くても良くても常にテンションあげてくってのが俺のテーマだったからさ! 調子悪いときそっとしといてくれって感じだったと思うけど。 |
この写真もすげぇ好き。ほんと皆のサポートに感謝します!!ジャパーナのこうじさんにも 本当にお世話になって俺達サロモンとハートほんと良いチーム最高でした!! 湯浅チーム明チームって感じだな |
一緒に引退したマイク。マイクとも昔から一緒に成長して来たからね。 そんなタイミングだったんだろうね。 |
最後に俺の事を最初から最後まで見放さないで面倒見て一緒に闘って来てくれた伊東さん。伊東さんには感謝の言葉じゃ全く足りない。
家族よりも一緒に居たんだ。子供達の成長を見ずに俺の成長の方が多く見てるんだ。
伊東さんの家族にも心からお礼を申し上げたい。本当にありがとうございます。
伊東さんの奥さん、ななみちゃん、えかい、めかい。本当にありがとうございます。
シャケ一本毎年一生送り続けるからね。
伊東さんのおかげで表彰台に立てたのは言うまでもない。どんな時も一緒。どんな俺の精神状態も理解し。駄目な事は駄目。なんでも共有してくれた。人生捧げてくれました。18歳から面倒見てもらって32歳まで!俺の全てを受け入れてもらいました。本当に本当に感謝です!!!尊敬と言う言葉を一人にしか言えません。誰に使いますか?そんなアホみたいな質問があったとしたら迷わず「伊東さんへ」と答えるでしょう。それだけの関係なんです。本当に感謝です。
言い尽くせないな。伊東さんに世界一見せたかったな。
それが正直な気持ちでした。
アルペンする為に19歳でヨーロッパに住み始めました。
本物のアルペン選手になりたかったから。本場のヨーロッパで有名になりたかったから。
そして32歳ヨーロッパの舞台。世界最高峰のワールドカップツアーでアルペンの舞台から退きます。すべてここで学んだ事。そのヨーロッパに俺のアルペンスキーヤーとしてのキャリアを置いて日本に帰りたいと思います。
最後のレースはワールドカップ。子供の時から決めていた俺への約束事。
今まで本当にありがとう。
今日は311。大震災から3年です。あと数時間であの時間です。
このブログの内容がまったく震災に触れていませんでしたが、自分のこの3年間のモチベーションは大震災で大変な思いをされた方々から力を頂き
ここまでやって来ました。出会った多くの仲間達、被災された方々。
移住された方々そんな皆さんのパワーで一切ブレずに戦いました。ありがとうございました。その結果報告をかねて今日このブログを書かせていただきました。
Big RESPECT for ALL my People!!! One love.